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In Love with Korea

2023 WINTER

人生はチャンレンジ、勇気を与えるユーチューバー

アメリカ人のメーガン・ムン(Megan Moon)さんは自身のYouTubeチャンネル「Megan Moon」を通じて、数十万人の登録者に韓国を紹介し、それぞれの夢を追いかけている多くの人々にインスピレーションを与えている。


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双子のママさんユーチューバー、メーガン・モアさんは2012年に韓国にやって来た。人種のるつぼであるアメリカで育った彼女は、単一民族で構成されている韓国での暮らしに興味を抱き、韓国文化に魅了されて留まることにした。



メーガンさんがリビングにある紺青色の大きなソファに座っている。リビングの窓からは朝露に輝く芝生が見える。パジュ(坡州)にある彼女の家は静かで平穏だ。

パジュは彼女が育ったアメリカ南部の環境と似ていて、ときどき鹿が庭先を訪れていたという。十数年間ソウルで暮らしていたが、夫と去年生まれた双子の赤ちゃんと共にパジュに引越してきた。彼女の夫は韓国の有名人の服をデザインするパターンを作成しているが、メーガンさんのYouTubeチャンネルを通じて公開されている。数十万人の登録者は夫婦の日常を通じて韓国の文化と社会の一面を垣間見ることができる。

韓国で過ごしてはいるものの、彼女はアメリカ文化の長所を忘れることなく、一方で韓国文化の長所を取りいれることにも熱心だ。メーガンさんは自身の文化的立ち位置としては「アメリカと韓国の中間」にあると感じている。

コミュニケーションの窓口、YouTube

メーガンさんは韓国語の響きに魅せられて語学の勉強をはじめた。今では韓国語を流暢に話せるようになった。優れた韓国語の実力が韓国文化の理解に役立ち、さらに彼女のYouTubeの映像の領域を広げるのにも役立っている。「言語を通じてその国の文化と思考パターンが理解できると思います。文法の構造が物事をどのように考えるかを決定しているからです」。

YouTubeチャンネルにアップするコンテンツの企画と撮影、編集などには多くの時間が投入され、そのすべてを効率的にするためには調整することも多い。そのためほとんど専業と言っても良いほどだ。しかしそのおかげで、90万人登録者数を達成して有料広告収入を得られるようになった。主にブログ方式で作成し、韓国での日常や彼女の好きなものなどについて語る。

韓国についてよく知らない人々に伝えるのに最も難しい部分の一つが食べ物だと彼女は言う。韓国料理を食べるということは韓国文化の経験に深みを増すことだ。

メーガンさんの場合、最初は熱いチゲなどの汁物を食べること自体が大きな挑戦だった。それで料理が冷めるまで10分ほど待っていたこともあった。しかし今では、彼女はためらうことなく食べることができる。「すぐに食べます。適応しました。非常に熱い料理が好きになりました。この前アメリカを訪れた際、レストランの料理がどれも冷たいと感じたんです。一人で『温気はどこにいったの』と思ったほどでした」。

もう一つ驚いたことは、韓国では料理をする際に材料のあらゆる部分を使い、何一つ捨てないという点だった。対照的にアメリカでは食材の一部分は、そのまま捨てられてしまうことも多い。例えば、サツマイモの茎のような部分だ。「サツマイモの茎は非常に美味しいです」と彼女は言う。「そしてニンニクの茎も。アメリカで運転していたとき道端にヨモギが生えていました。だが、米国人にはそれを食べるという考えはないですが、韓国ではそのようなものも利用して料理をします」。

彼女のYouTubeでたくさんのコメントが付くコンテンツは、特にチャレンジと個人の目標、そして家庭生活に関することだ。彼女は常に自身のコンテンツの影響力が大きいことを意識している。道を歩いていたとき外国人が近寄ってきたことがあった。「私の映像を見て韓国にやってきたという彼らは、『韓国に来るのが夢だったんですが、ちょっと怖気付いたんです』と話していました」。それでメーガンさんは自身のコンテンツを通じて訪問者に、目標を達成できるように勇気を与えようとしている。

「うまくいかないこともありました。例えばオンラインで服を売ることとかです。でも、よしっ! これは私には合わなかったのね。他の道を見つけよう! と自分に言い聞かせました。人生はとても短いです。チャンレンジしてみなければ、うまくいくかどうかも分かりませんからね」と彼女は常に前向きだ。

 


印象深かったこと
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彼女は母親としての役割だけに集中しているのではない。妻として、母として、ユーチューバーとして、そして猫の世話をしながら自分だけの時間もきっちりと作っている。

メーガンさんがどういうきっかけで韓国に来ることになったのかの話の途中で、食べ物の話に戻った。「アメリカにいるとき、韓国料理のレストランに行ったことがありました。料理もおいしく、パンチャン(おかず)も無料なので、大学に通う間よく利用していました」と当時を思い出す。「そのとき聞いた韓国語の響きがとても美しく感じました。それで学びたいと思うようになり、レストランのスタッフが韓国について話してくれました」。

メーガンさんは大学を卒業した後、2012年に英語講師として2年間の就労ビザで韓国にやって来た。今では韓国を「故郷」と呼んでいる彼女だが、韓国の第一印象は、全てが新しい体験の始まりだった。メーガンさんは初めて単一民族からなる国で暮らすようになり、それは一種の衝撃だった。予想はしていたものの、韓国人だけに囲まれている経験は全く新しい世界だった。

「様々な人種のるつぼのアメリカから来た私には奇妙に感じられました。悪いというのではありません。ただ、一つの民族の人々だけを見るのは面白いと思った記憶があります」。

彼女が適応しなければならなかったもう一つの経験は、人と簡単に関係を築くことが不可能だということだった。アメリカはコミュニティー特有の余裕のおかげでお互い自然に親しくなり、持続的に関係を保つことができた。しかし、ソウルは密度の高い生活環境と会社生活の比重が大きいため、人々との付き合いが簡単ではなかった。

こうした大変化にもかかわらず、彼女は韓国滞在を果てしなく延長することにした。「韓国が故郷のように感じられ、ずっといたいと思うようになりました。韓国という国と文化が私とうまくマッチしたのです。ここで新しい人生を始めて、結婚できると思いました。韓国人が大好きです。本当に親切でよく助けてくれます」

 


母となり

娘のルナと息子のルビンが生まれてから、メーガンさんの暮らしに大きな変化が訪れた。「二人の子供は一日中、私を必要とします。料理をして掃除をすることが全てではありません。子供たちが感情をコントロールできるようになるためには、私の助けが必要です。注意と刺激も必要です。また子供たちが人としてちゃんと育つように教育もしなければなりません。小さなことの一つ一つを子供たちに手本として見せなくてはなりません。それが一番難しいことです。私は完璧主義者です。何もかもうまくやり遂げたいんです。だから、ただここに座ってアニメや映像だけを見せることはしないようにしています」。

彼女の主な目標は、子供たちが自ら幸福になれるように自信をもたせることだ。「子供たちにはチャレンジし、克服することで喜びが得られるような成長マインドを持ってほしいと願っています。そうすればちゃんと生きて行けると思います。たとえコンビニで働きたいと言ったとしてもです」。

YouTubeの運営や親としての責任を果たしながらも、メーガンさんは自分のための時間を忘れない。主に運動を通して心の充電を図り、健康な体を維持するための大切な時間だ。2021年にはビキニモデル大会に出場しようと挑戦したこともあった。それと関連した映像をYouTubeチャンネルにアップし、それがKBSのドキュメンタリー番組で放映されたりもした。

豊かな遺産とアイデンティティ
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彼女は子供たちがアメリカ人と韓国人の間でいかなる先入観も持たずに、自信を持つ力を養い、自ら幸福になれるように育てようとしている。

「Q&A 私が黒人だと知ったその時、韓国人はどう反応するか」というタイトルで2013年にアップロードした映像は、130万以上のアクセス数を記録した。この映像でメーガンさんは、自分は「黒人だが非常に明るい皮膚をしている」と語り、両親の写真を見せた。彼女の母は白人、黒人、ネイティブ・アメリカンの混血で、父は黒人だ。彼女は大きくなると黒人ではあるが明るい皮膚の色をしているという理由で特別な扱いを受けた。だが彼女は皮膚の色ではなく、自分らしい生き方を見つけアイデンティティを確立した。例えば自分の個性と行動などだ。

彼女は子供たちには違和感を感じるどんな「レッテル」も貼られないようにと願っている。「私たちはただ自然に流れるように生きて行こうと思います。韓国人として、アメリカ人として、二つの言語が話せて、クリスマスと秋夕の両方をお祝いする、というように」。

彼女は大人になったとき、どんな環境でもうまく生きて行けるような人間になった。「私は目的意識を強く持って、率先して行動するタイプです。チャレンジするのが好きなんです」。彼女のそういう積極的なマインドは父のおかげだと言う。

彼女は6歳の時にチアリーダーに選ばれた。しかし、一周2.5キロ程のサッカー場を何周も走る訓練を受けなければならなかった。彼女はその反復的な訓練が嫌で、それでチアリーダーを辞めたいと言った。しかし、彼女は父から投げ出してはいけないと言われた。「父はダメだ、辞めるんじゃない。最後までやり通せば何かを学ぶことができるんだと言いました」。その後メーガンさんの父は、彼女と一緒に毎回ランニングをしてくれた。

「そのことは私にとって非常に大切なことでした。私の世の中に対する見方に大きな影響を与えたからです。もし父が辞めたいのかい、いいよ、辞めなさいと言っていたら、私は今、韓国にはいなかったでしょう。たぶん人生に対して今とは違った視点と態度で時間を過ごしていたと思います」。

彼女の次なる挑戦は何か。彼女のバケットリストは長いという。なんと、その中の一つは、思いもよらない特殊なものだった。

「実は、私はバスの運転免許を取りたいんです。若い外国人の女性が韓国でバスの運転するなんて、想像できますか」


ダニエル・ブライトDaniel Bright、エディタ―
ハン・ジョンヒョン韓鼎鉉、写真作家

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