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On the Road

2023 AUTUMN

秋たけなわの瑞山で見つけた韓国の心

2021年9月、YouTubeのImagine Your Korea チャンネルで公開された「Feel the Rhythm of Korea–Seosan」という映像が話題になったことがある。この動画のタイトルは『マッドマックス』(原題:Mud Max)。ジョージ・ミラー監督の2015年作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(原題:Mad Max: Fury Road) をパロディ化したものだった。映画では砂漠を走るトラックが登場するのだが、パロディー映像では耕運機が干潟を疾走している。この映像は海に面している忠清南道瑞山の風景をユーモラスに描いていると評価されている。秋の趣あふれる瑞山(ソサン)へ、怒りの代わりに期待感を抱いて今すぐ駆けつけてみよう。

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© 瑞山市



瑞山(ソサン)とその周辺地域は、大小の干潟が内陸の奥深いところまで形成されていて「内浦」とも呼ばれている。これは満潮と干満の差が大きいことを意味する。実際に、瑞山の北側にあるカロリンマン(加露林湾)は、平均潮位偏差が4.7メートルで、最大干満差はなんと8メートルにも達する。瑞山南側にあるチョンスマン(浅水湾)も同様だ。


世界最大級の干満差が生み出した宝物

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熊島(ウンド)は潮の干満差によって陸地とつながったり、島になったりする。熊島と陸地を結ぶのは乳頭橋だ。1日2回海水に浸かる神秘的な光景で有名な観光スポットとなった。この橋は干潟生態系復興事業の一環として、2025年に撤去される予定だ。

世界でも屈指の大きな干満差を誇る加露林湾は、様々な水産資源を提供する豊かさの源泉となっている。2016年に韓国初の「海洋生物保護区域」並びに25番目の「海洋保護区域」に指定された。その後の2019年には、92.04平方キロメートル規模に拡大された生物多様性豊かできれいな内湾である。

マッドマックスのパロディー映像で、住民たちが耕運機に乗って疾走している所も干潮時に姿を現した加露林湾の吾池里干潟である。満ち潮のときはコノシロやクロソイをはじめとする様々な魚が釣れる。引き潮時は果てしなく広がる干潟で、韓国で生産される甘苔のほとんどが採取され、アサリや鳥貝、その他様々な底棲魚介類が獲れる。秋には、1454年刊行の『世宗実録地理志』に収録されているほど長い歴史を持つマダコの旬を迎える。2014年に訪韓したフランシスコ法王の食卓にタコ粥が上ったことがあるが、法王が2度もおかわりを所望したことで好評を博し、さらに有名になった。

吾池里干潟の南側に位置する中旺里では漁師たちが、干潟にあるタコの巣穴を見つけた後、小さなシャベルのような道具を使って最大1メートルまで掘って捕まえる。タコが旬の秋には加露林湾のあちこちでタコ釣り体験が可能だ。

特に、吾池里と中旺里の間に位置する熊島では、満ち潮と引き潮によって600メートルほど離れている島と陸地が離れては再び陸地で結ばれる「海割れ」が見られる。満ち潮と引き潮は日に2回起こるので、海割れも日に2回見られる。干満差がとりわけ大きい加露林湾には様々な生物種が豊富に存在しているという、内湾の特性が直接確認できる風景である。ただし、2025年頃には連陸橋が建設される予定なので、この風景が見られるのも残りわずか2年である。

 

豊かさがもたらした痛み、それを克服する努力

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瑞山(ソサン)と接している加露林湾は、地域住民に様々な水産資源を提供している。

一方、海の恵みである豊かさは海の向こうから嫉妬心を呼び起こした。海賊の出没とそれに伴う略奪のため、長い間苦痛に耐えなければならなかったのだ。瑞山には、東の山群(一つにまとまった山々)と海の間に広がる相当規模の野原もあったため、そこから得られる収穫物も少なくなかった。

祖先たちは朝鮮初期の1416年に本格的な対応に乗り出した。浅水湾北側の島飛山で軍事演習を兼ねた狩猟大会を行っていた朝鮮第3代王の太宗(在位:1401-1418)が、西海岸に出没する海賊を効果的に防御する拠点として、島飛山東側に位置する海美地域がふさわしいと判断したのだ。

決断はすぐに実行に移された。1417年に始まった築城工事は4年で完成した。その後、朝鮮半島中部地域を管轄する陸軍最高指揮機関である忠清兵馬節度使営を海美へ移し、陸上の他に海上防御も担当させた。それまで朝鮮半島における主要食材供給地だった瑞山が、名実共に共同体の安寧を守り抜くための最前線であると同時に、最後の砦の役割まで担うことになったのだ。現在、海美の中央部で周囲約1.8キロメートルの雄大な姿を誇る海美邑城がその証拠である。高さ5メートル前後の城壁で隙間なく囲まれていて中でも目を引くのは、当時の厳しい現実を物語る二つの「チッ:雉」だ。この用語は鳥の「雉」を意味するのだが、雉は危険を察知すると茂みの中に身を隠したまま頭だけそっと出して様子をうかがう。つまり、「雉」とは城壁の真ん中に鋸歯(きょし:のこぎりの歯)のように突出して作られた構造物なのである。迫ってくる敵をいち早く見つけ、戦闘が起きた際には城壁に接近する敵を正面からだけでなく両側、すなわち三方面から攻撃して撃退できるように作った施設なのだ。

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現存する邑城の中で最もよく保存されている海美邑城(ヘミウプソン)は、カトリック教迫害と関連した遺跡も一部残っている。城の周りに敵の接近を防御するために棘のあるカラタチの木(テンジャ)が植えられていたため「テンジャ城」という別称も持っている。



海美邑城の中へ入ると、樹齢300年を超えると推定されるエンジュ(槐)の木を中心に、地方官衙である東軒や出張で来た官僚たちの宿泊施設である客舎、囚人を拘禁しておく獄舎などが再建されている。東軒を左に挟んで低めの丘を上がると、頂上に淸虚亭という東屋がある。2011年に再建され海美邑城一帯を一望するのに最適だ。全羅北道の高敞邑城や全羅南道の楽安邑城とともに、最もよく保存された邑城の一つとして評価されている海美邑城が、本来の役割をしっかり果たしたくれたおかげで、内陸地方は長い歳月安寧を謳歌することができたのである。このような協力と共生の歴史が持つ意味を再び再認識するために、今年の10月7日から3日間「第20回瑞山海美邑城祭り」が開催される。新型コロナウイルスで中止されて以来4年ぶりの祭りとなる。長い歴史だけに、より多彩なイベントが開催される予定だ。

 

二つの寺院と磨崖仏に溶け込んでいる念願

忠清南道瑞山は文化遺産の面でも悠久なる歴史を誇る地域で、自然との調和も印象的だ。代表的なものとしては開心寺(ケムシサ)と瑞山磨崖三尊仏、そして看月庵(カンウォルアム)がある。まず、象王山と日楽山の間の鬱蒼とした森の中に位置する開心寺は、百済末期の西暦654年に創建されて以来1400年近い歴史を刻んできた寺院だ。長い歴史と美学的な価値が高く評価され、忠清南道4大寺院の一つともいわれている。

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宝物143号に登録されている開心寺(ケシムサ)の大雄殿。開心寺に行くなら建築芸術が際立つ大雄殿の他に、尋剣堂(シムゴムダン)も見学してみよう。尋剣堂は多くの寺を遍歴し修行していた行脚僧が泊まっていた離れで、自然の宿る美しさを誇っている。



開心寺は寺院までの道のり一つをとってもそれなりの価値がある。寺の駐車場に着く手前にある新昌貯水池は、周辺地域一帯の農地に水を提供するための施設だが、特に秋の朝にその前を通ると瑞々しい霧が神秘感を増してくれる。車から降りて散歩をしてみるのもお勧めだ。そして駐車場と一柱門を通ると寺院まで500メートル余りの林道が広がる。その先で出会う最初の風景は、長方形の池の上に丸太を半分に割って架けておいた一本橋である。その横には鏡の池という意味の「鏡池」と刻まれた標石がある。心を水に照らして己を振り返り省察せよという意味で、「心を開いてあらゆる煩悩を洗い流す寺院」という意味を持つ開心寺の名前と一脈相通じるものがある。

このように開心寺は素朴さが一段と際立つ寺院である。2004年に服蔵遺物を調査していた際、1280年に補修したという記録が発見され、韓国最古の木仏の一つとして知られている木造阿彌陀佛坐像や1484年に建て直して以来、当時の形をそのまま維持しているとされている大雄殿など、随所に優美さが残っている。

その中でも僧侶たちの居所である尋剣堂はとりわけ目を引く。大雄殿とほぼ同時期に建て直されたこの建物が特に注目を集める理由は、曲がった丸太を最大限自然の状態を保ったまま、柱として使っているからである。丹青も塗られていないので、微細な木の隙間からは歴史の重みが感じられる。寺院を取りまいている紅葉と調和を成し、千年古刹の重厚さと素朴な居心地の良い風情を醸し出している。

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瑞山龍賢里にある「磨崖如来三尊像」は百済末期の花崗石仏像である。長い歳月を経て、茂みに埋もれていた磨崖如来三尊像は1959年に発見された。光の角度によって変わる不思議な笑みで有名だ。



開心寺の反対側の山裾には巨大な岩盤をキャンバスにし彫刻された瑞山磨崖三尊仏が、素朴な佇まいを見せている。その素朴さは、友人のような茶目っ気たっぷりなユーモアさえ感じられる。壁面に刻まれたレリーフは、時に量感豊かな目鼻立ちになる。 時間とともに太陽の光が当たる角度によって、様々に変化するのではないかと思われる。1500年近くベールに包まれていた瑞山磨崖三尊仏は、1959年になってようやく世界に知られ国宝に指定された文化遺産である。そのような歴史性が仏像の魅力を高めている。瑞山磨崖三尊仏が「百済の微笑」と呼ばれる所以だ。

最後のお勧めの場所は、マッドマックスパロディ映像にも登場する看月庵だ。看月庵は浅水湾の水面上に浮かぶ瑞山の最南端の島、看月島にある唯一の庵だ。ここも熊島と同様、日に2回の海割れで、約30メートル幅の道が現れるときだけ歩いて入ることができる。熊島との違いは、満ち潮で道が浸かっても渡し船があるので出入りには問題がないという点だ。満ち潮に浸っている姿が蓮の花のようで「蓮花台」とも呼ばれている。その光景は干満問わず、まるで一幅の絵のようだ。

 

干拓の歴史は韓国の歴史

開心寺をはじめ瑞山磨崖三尊仏と看月庵…。華やかさとは程遠いこの素朴な歴史遺産からは、昔の人々の平和と安寧を祈る深い念願が感じられる。海の恵みを享受したものの海難事故も多く、前近代には海賊の略奪行為による、共同体の平和が危ぶまれる瞬間もあった。

しかし昔の瑞山の人々、ひいては韓国人はそのような挑戦的な状況に臆することなく、生を全うするための努力を一時も怠らなかった。朝鮮戦争で国全体が焦土化した際も再び立ち上がり、独裁時代を退け自らの力で民主主義を勝ち取ってきた。そのような点で看月庵のすぐ東側にある「瑞山A地区防潮堤」に注目する必要がある。苦難の末防潮堤建設に成功し、着工から15年3カ月を経てついに完工した「瑞山AB地区干拓地」は、瑞山だけでなく韓国と韓国人の面々を象徴するバロメーターのような役割を果たしているのである。

干満の差が大きい海だけあって、工事が始まった1980年当時は干拓地造成のための防潮堤を築くのは容易なことではなかった。車1台ほどの大きさの石も8m/秒を超える激流に流されがちだったからである。工事は困難に直面した。その時、工事を主導していた現代建設のチョン・ジュヨン(鄭周永、1915-2001)会長があるアイデアを出した。

どうしても埋められなくて悩んでいた最後の止水工事区間に、古鉄として使うためにスウェーデンから持ち込んだ23万トン級の大型タンカーを密着させて沈めろという指示だった。皆が首をかしげる中タンカーを沈めることに成功し、流速が弱くなった隙を狙って工事は順調に終わった。こうして長さ7.7キロに達する防潮堤が完工し、そのおかげで、当時韓国の全体農耕地面積の1%に当たる1万ヘクタールを超える農耕地が誕生した。単一農場としては世界最大規模で、50万人の人々が約1年間食べられる量の米が栽培できるようになった。

澄んだきれいな海と干潟が提供する栄養豊かな糧、そして共同体の平和の守護にとどまらず、さらに発展するための努力の象徴ともいえる忠清南道瑞山。瑞山への旅は単に瑞山の過去ではなく今日の韓国を垣間見るきっかけとなってくれる。住民たちが水産資源を活用する一方で持続可能な環境の保護のための努力も惜しまなかったこと、個人レベルを超えて共同体全体の幸せのために海美邑城や仏教関連文化遺産を重視してきた文化、瑞山AB地区干拓地の歴史から感じられる韓国人の精神、これらはすべて瑞山の過去と現在を象徴する。秋の趣あふれる瑞山は、過去を顧みることで韓国の今日を振り返ることができる旅先でもある。

 

코리아나 가을호(JP) 온더로드 지도_resize.jpg

 



クォン・キボン 權奇鳯、 作家
イ・ミンヒ 李民熙、 写真家

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